大判例

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福岡高等裁判所 昭和52年(ネ)513号 判決

控訴人

崔昌華

被控訴人

日本放送協会

右代表者会長

川原正人

右訴訟代理人

杉本幸孝

柳川従道

奥山滋彦

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人が被控訴人に対し控訴人及び韓国人、朝鮮人の氏名を今後現地音読みにより呼称することを求める訴は、これを却下する。

控訴人のその余の請求は、これを棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも、控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

(控訴人)

一原判決を取り消す。

二1被控訴人は、控訴人に対し、被控訴人が控訴人の氏名を故意に間違つて呼んだことを謝罪せよ。

2被控訴人は、控訴人に対し、右謝罪文を被控訴人の全国向け放送で放送するとともに、株式会社毎日新聞、同朝日新聞、同読売新聞、同西日本新聞の各全国版紙上に掲載せよ。

3被控訴人は、控訴人及び韓国人・朝鮮人の氏名を今後現地音読みで呼べ。

4被控訴人は、控訴人に対し、金一円を支払え。

三訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

(被控訴人)

一本件控訴を棄却する。

二控訴費用は、控訴人の負担とする。

第二  当事者の主張及び証拠関係

当事者双方の主張及び証拠関係は、次に付加するほかは、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

(控訴人の主張)

被控訴人は、本件の氏名の呼称の慣用を不変のように主張するが、この慣用も、次のとおり時代の変化、意識の変化と共に変化し、変化すべきものである。

1控訴人と被控訴人との法的関係を示す放送受信料領収証は、昭和四九年三月一七日には「チォイ・チャンファ」となつている。

2被控訴人は、「中国、朝鮮の地名・人名の表記と発音」を研究して昭和五一年七月発行のNHK放送文化研究年報21において発表し、将来の民族語音読み移行を配慮し、各機関、放送現場に年報及び抜刷を配付している。

3被控訴人は、次のとおり具体的に右資料を利用して民族語音読みで放送している。

昭和五一年一月二七日

ユン・スウギル(尹秀吉)

昭和五一年一一月三〇日

キム・キョンドク(金敬得)

昭和五二年一一月一九日

コウ・サミヨン(高史明)

昭和五四年一一月二〇日

キム・チョンヨ(金貞女)等

昭和五二年三月二二日には金達壽と表記して「キン タツ ジュ」と呼んだ被控訴人が、同年一〇月三日には「金達壽(キムタルス)」と表記して「キム・タルス」と呼んでおり、強く慣用を主張している被控訴人自身も変わるということである。このように、被控訴人は、民族語音読みできる研究成果と具体的実施例をもつている。

4外国人登録済証明書についても、昭和二二年六月二一日の通達で氏名には日本語音読みの仮名を付することになつているのに、現在では民族語音読みの仮名を付している。

5前記金達壽の著書「朝鮮」の著者名も昭和四一年一二月一〇日第一一刷では「きんたつじゆ」と仮名が付してあつたが、昭和五一年一一月二〇日第二二刷では「きむたるす」となつている。

6電話番号帳においても民族語音読みによる配列がだんだんふえている。

7韓国においては、日本人の氏名は韓国語音読みによらず日本語音読みで呼んでいるところから、日本政府外務省は、昭和五八年一月一日から韓国の人名や地名を韓国語音読みにすることにした。

8FM福岡放送は、昭和五七年一〇月三〇日控訴人の氏名を日本語音読みで放送したことを同年一一月六日訂正放送した。

9現在新聞は、控訴人の名前を漢字表記、韓国語音読み仮名付で記載し、民間放送も、控訴人の氏名を韓国語音読みで放送している。

(被控訴人の主張)

氏名を正確に呼称されるべき利益それ自体はいまだ一般的にいつて法律上の程度に熟さない事実上のものであるが、氏名の呼称を通じ、法律上保護されるべき人格的利益を侵す場合には、損害賠償等の請求及び差止請求が可能とされることもありうる。この場合の侵害の対象は、法律上保護される程度に達した人格的利益であつて、氏名の呼称そのものについての利益ではないのである。この場合の氏名の呼称は、そのような人格的利益の侵害の一手段であるにすぎない。

本件で問題とされているのは、まさに右に述べた意味での氏名を正確に呼称されるべき利益それ自体である。控訴人は、つまるところ、この利益それ自体が法律上保護されるべきであると主張しているのである。しかし、右に述べたように、この利益それ自体は、未だ法律上保護されるべき利益ではないと考えるべきである。

我国社会における一般通常人は、氏名の呼称それ自体が法的なレベルで問題とされうる事柄とは考えていない。言語上の問題、社会的慣習・習俗の問題であつて、たかだか道義上の事柄にすぎないと考えているのである。また、それ故に、氏名が正確に呼称されなかつたからと言つて、そのことによつて、その氏名の持主の名誉が毀損されたとは考えないのである。言い換えれば、氏名をその本来の音で呼称することそれ自体は、それにたがえば損害賠償義務を負わされるという間接的なかたちにおいてすら(差止請求を受けるという直接的なかたちは勿論)、法的に強制されるべき事柄ではないということである。

しかしながら、被控訴人は、本件において、直ちに右に述べた事柄の本質に関する主張は行わずに、韓国・朝鮮の人名の放送における読み方について、現状では原則として日本語音読みせざるを得ない所以を詳細に主張し、かつ立証して来た。右に述べたところからすれば、この主張・立証は、法的範疇に属する事柄に関するものというよりは、むしろ道義の範疇に属する事柄に関するものである。

被控訴人が、かかる事柄につき詳細に主張・立証を行つた理由は、公共放送としての被控訴人の立場から、韓国・朝鮮の人名の放送における取り扱いについて、理解を得たいと考えたからにほかならない。

(新たな証拠)〈省略〉

理由

一当裁判所は、控訴人の控訴人及び韓国人、朝鮮人の氏名を今後現地音読みにより呼称することを求める訴は、不適法なものとして却下すべきものであり、控訴人のその余の請求は理由がなく棄却すべきものと認定判断するが、その理由は、次のように付加訂正するほかは、原判決理由説示のとおりであるから、これを引用する。

1原判決一三枚目裏七行目から同一四枚目表一二行目までを次のとおり改める。

「控訴人の氏名の将来の呼称に関する訴は、いわゆる将来の給付の訴というべきところ、被控訴人は、将来控訴人の氏名を呼ぶ放送を行うことがあるかどうかは現在のところ全く不明であり、予め給付判決を得ておく必要性があるとは認められないから、控訴人の右訴は、不適法である旨主張するが、右主張自体被控訴人において将来被控訴人の氏名を呼ぶ放送を行う可能性を全く否定する趣旨でないことが明らかであり、被控訴人が昭和五八年五月一四日再び控訴人の氏名を日本語音読みで放送したことは本件証拠上明らかであるから、右理由で右訴が不適法であるとはいえない。しかしながら、後記のとおり被控訴人が昭和五〇年九月一、二日の放送で控訴人の氏名を日本語音読みにした行為は、その時点においては、慣用及び放送の特殊性から違法であるとはいえず、また、右昭和五八年五月の放送まで及び現時点においても、同様に違法であるとはいえないものの、右慣用及び放送の特殊性に今後変化の見られるであろうことは、本件証拠上からも認められるので、その変化により右違法性の判断も異ならざるを得ないものであるから、現時点において将来の控訴人の氏名の呼称の違法性について判断するに由なく、控訴人の右訴は、結局権利保護の要件を欠く不適法なものというほかない。」

2原判決一五枚目表二行目から三行目にかけて挙示の各証拠に、「当審証人樋口弘志の証言及び当審における控訴人本人尋問の結果」を加える。

3同一七枚目裏五行目から六行目にかけての「いささか偏執的ではあるが」を削る。

4同一八枚目裏八行目の「発達したこと」を「発達し、同一漢字について異る発音となることがあるようになつたこと」と改める。

5同一八枚目裏八行目の「その」から同一九枚目表四行目までを「我国においては、奈良時代以降、それぞれの原音で発音することが定着した例外的な場合を除き、漢字を中国語音(これも同一の漢字が渡来時の中国の時代、場所によつて異なることがある。)に近い日本語音で発音する「音読」及び漢字を同一意味の日本固有語で読む「訓読」によつて発音する便法が定着し、しかもその音訓読も極めて多種多様な変化を伴つて定着したゝめ、過去における長い日本文化史の中において音訓読される漢字は外来語を意識させないまでに深く日本語に溶け込むに至り、中国、韓国、北朝鮮の人名、地名等の固有名詞の表記された漢字の日本語音読み(その音も通常最も標準的な音読み)が、一般化し、現代の我国においては確立された社会的習慣として存在することが認められる。」と改める。

6同一九枚目裏一二行目の「更には」の次に「日本においては前記のとおり漢字に複数の音訓読があるためか氏名の誤読に比較的寛容であるのに、韓国においては、氏名の韓国語音読みを強く求める民族性があり、日本人の氏名もその漢字を韓国語音読みによらず日本語音読みで呼んでいることを考慮して」を加える。

7同二〇枚目裏一〇行目の「現時点において」を削る。

8同二一枚目裏八行目の「せざるをえない現状」から同二二枚目表二行目の「反するからである。」までを「せざるを得なかつたものというべきである。」と改める。

9同二二枚目表一一行目の次に次のとおり加える。

「更に、本件の被控訴人が控訴人の氏名を日本語音読みで放送した所為は、前記のとおり控訴人主張の日本と韓国、朝鮮との過去の歴史的経緯とは全く関係のない慣用及び放送の特殊性によるものであるから、被控訴人において主観的にも控訴人の人格を侮辱等する意思のもとになされたものとも認められない。」

二よつて、右と趣旨を異にする原判決を変更することとし、訴訟費用の負担について民訴法九六条、八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(矢頭直哉 諸江田鶴雄 日高千之)

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